上田AGは、なぜ2006年から中止なのか 

理由は主に以下の3点です。

・核となるスタッフが少ない

・浜口がいつこの地を離れるかわからない

・今の自分の能力では地域貢献するまでに至らない(気がする)

 

 「核となるスタッフが少ない」ことについて

 上田AGは当初、私ともう一人、T氏を中心に始めました。お互いに生業があり、余暇の時間で大会を運営してきました。
 毎年、時間的に厳しい中での開催で、2005年大会もまあ何とか当日に漕ぎ着け、事故もなく無事に終わりました。正直に言うと、「よく無事に終わったな」、というのが、大会後の私の感想でした。堂々と話すような事ではないのですが、このような状況で続けていけばきっと事故を起こすでしょうし、その時の対処も十分にできないと思います。それは絶対にあってはなりません。
 これらの問題を解決するためには、我々と同じ深さで関わってくれる“核となる”スタッフが必要だと考えています。そして、これは簡単に頼めることではありません。本人の主体性がなければ続きませんし、いろいろな負担があります。はっきり言って大変です。(それ以上に得るものがあることは間違いありませんが。)
 このようなスタッフをもっと見つけなければ大会は続いていかないと
最初から思っていましたが、それができないまま今に至っています。

 “核となるスタッフ”を私なりに言うと、後援や協賛・地元の方々との交渉・調整、コース設定・スタッフ配置などの競技部門、受付事務、会計、あと…、なんだっけ?と、まあ、大会当日までの準備に関わり、また、大会の方向性を創っていくスタッフの事です。今の状況では物理的に厳しい、ということの他に、複数で話し合わないとマンネリ化、ワンマン化してしまったりというのもあまり好ましくないことです。特に、リスクマネジメントに関しては多くの視点から深く考える必要があります。余暇の範囲でやるには、2人では限界を感じます。

 以上はあくまでも私の個人的な考えですから、他の方ならもっと別のやり方で可能なことかもしれません。

 

 ・「浜口がいつこの地を離れるかわからない」ことについて

 私は、今年度中に仕事の都合で長野市に移住する可能性があります。
時期はまだ決まっていませんし、移住しないこともありえます。しかし、
大会の準備を進めたが移住してしまって当日来れない、当日どころか
準備もすべてそこで止まってしまう、ということも無いとは限りません。
上記のスタッフ探しを真剣にしなかった理由はこれにあります。
準備が整ったとしても、私が当日不在などとは考えられませんので…。

 

 ・・今の自分の能力では地域貢献するまでに至らない(気がする)
  ことについて

 上田AGは、目的の一つに「地域貢献」という事を掲げています。地域貢献と言っても様々あるわけですが、当初考えていたことは、地域の人達と地域外から来た参加者が交流、情報交換をし、地域活性化のヒントを掴んでもらうことでした。
 地域外の人から見れば魅力的なフィールドでも、子どもの頃からそこに住んでいる人にとってみればそれは当たり前の光景で、いい場所だと思ってはいても、どのようにアピールしていけばよいか分からないのではないかと考えていました。そこで、上田AGが直接地域外の人と話をする機会になれば良いなと考えていましたが、そんなに上手くはいきませんでした。主催者として、それが実現する仕掛けをするか、あるいは、地元の活動的な方を取り込むということが手っ取り早くて効果的な方法と思いますが、それもできませんでした。
 これは、時間的余裕と言うより、私自身がまだまだ未熟であったことが最大の原因であると考えています。しかし、もっと人生勉強を積めば可能になるのでは、という想いがあります。ですから、上田AGがここで終わってしまっても、今の想いを持ちつづけていれば、形は違えども将来また何かできるかもしれないと思っています。

 参加者のアンケートを見て、上田AGは地元密着型と評価していただいているんだな、と嬉しく思っていますが、理想にはまだまだ遠いです。

 …と、なんかネガティブな感じですが、ゴミ拾いをしてくれる選手・スタッフや、宿泊施設を利用してくれる方もいました。ごく一部の方々の間では、上田と言えば長○県ではなく南魚沼の上田を思い浮かべるでしょう。少なからず地域貢献できていたことも確かかと自負しています。

 

 ・・・以上のような理由から中止を決断しました。

 しかし、2006年5月現在、上田AGをなんとか継続できないか、と協力を申し出てくださった方々がいます。まだ具体的な話は進んでいませんが、もしまた何らかの形で、大会を開催できることになったら、ご案内させていただきます。

上田Adventure Games実行委員会 : 浜口 公英
2006年 6月某日